2014年12月25日木曜日

クリスマス

ブログをご覧の皆さん、こんにちは、こんばんは。

描く男こと、星です。

クリスマスですね。
宗教的な意味でなく祝祭としてイベント化された感が日本に居ると強いと思います。

ベルリンは静かで寒くもないです。

さて、先日新作が完成しました。
これです。

タイトルは blackbird です。
名曲BeatlesのBlackbirdからの引用です。

"Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life You were only waiting for this moment to arise.

Blackbird fly Blackbird fly Into the light of the dark black night."

和訳
黒い鳥が歌っている 夜の死の中で
その折れた翼をつかって 飛ぼうとしている
君の人生でずっと 君は待っていただけだったね ことの起こりの瞬間を

黒い鳥は飛ぶ 黒い鳥は飛ぶ 光の中を 暗く黒い夜の中で

歌詞は、女性を「鳥」になぞらえて、「傷ついた翼のまま、夜の闇の中にある光を目指してとんでゆく」などと描写した内容であり、ポール本人は「黒人女性の人権擁護や解放について歌った内容」と言っている。by Wikipedia

とは言え、黒人女性の人権などをテーマに描いているわけではなく、哀しみや苦しみを乗り越えて前を向く意思をテーマに描いています。



そういえば、最近バイトしています。日本行きのチケット代と日本国内移動などの諸経費を捻出するために。

さらに年内をメドにもう1作品仕上げられるように目下制作中です!
Merry Christmas!

2014年12月22日月曜日

寺を描く理由 その2

ブログをご覧の皆さん、こんにちは、こんばんは。

描く男こと、星です。

土曜日に次回の二人展のDMを頂きまして、ベルリンのあちこちの懇意にさせて貰ってるお店に置かせて頂いています。ベルリン在住の方は是非手に取って頂きたいと思います。
詳しくは僕のweb : http://satoshihoshi2006.ebo-shi.com から。


左が僕の作品です。
展覧会名は、発見された二人みたいな意味です。

ベルリンはもうクリスマス休暇に入ってる人が多いと思われます。
知り合いも今日から南の島へ行ってるらしいです。

日本は、クリスマスといえば、賑わった感じだと思いますが、こちらはクリスマス自体は家族と過ごすので街中は静かです。年越しは花火とパーティーとでカオスですが。

さて、寺を描く理由その1と前に書いたので、今回はその2とします。

その前に、また支援してくれる方がポチッとしてくれました!ありがとうございます!
ポチッとしてもらえると俄然ミナギリマス!

寺を描く理由
今考えているのが、視点です。
漠然としたままスタートしますが、日本では、部屋から家へそして増築へという広がり方で、ヨーロッパだと建物から内部へそしてリノベーションへという内側へと向かうらしいのです。古来の建物に関してですが。
子供にデッサンを週に一回教えています。2人だけですが、女の子、男の子でどちらも日本人です。姿勢は女の子は背筋を伸ばし、男の子は猫背になりがちです。
姿勢はどうでもいいわけではなく、はやり、見えてくる世界に違いがあります。
背筋を伸ばすと視点がブレません。目線のみ対象物と紙の間を移動するので、基本的に視点はブレないのです。反対に顔ごと移動させると、対象物と紙のどちらかしか見ることが出来ず、絶えず視点の修正を余儀なくされます。

だんだん話がズレてきてますが。笑

つまり何が言いたいのかというと、仏教建築は日本においてヨーロッパ系の建物であるって事を言いたいわけです。事実誤認はあると思いますが、様式美は左右対称であったり、宗教観に根ざした考え方を反映している為だからです。

そんな寺を描く理由は、様式美といった既にある美の追求ではない、新たな視点の導入にあります。古来よりある寺を現代的にスケッチしていく。具体的なことは書けませんが意識しているのは上記のことです。それを繰り返す中での時空を超えたシンクロが生まれたりしたら、至極の瞬間なのではないかと僕は思ってたりします。

それではまた


2014年12月20日土曜日

寺を描く理由その1

ブログをご覧の皆さん、こんにちは、こんばんは。
描く男こと、星です。


もうすぐクリスマスですね。そのまま年越しへと日々忙しくされていると思います。
こっちはクリスマスカードで、日本は年賀状。人の考えることは余り変わらないものです。

なぜ、寺を描くのか?

行為そのものに興味があります。

日頃の描く対象は女性が多いです。その前は少女・少年を描いたりしてました。
ある特定の年齢の少女は二度と同じような感じにならないからであり、その対象として少年も描いたりしてました。
少女から女性への変化と少年から男性への変化だと、美を中心に見るとどうしたって少女を描きたくなるのです。
変な意味でなく。汗
僕はノーマルです!笑

新作は今ほぼ完成してきてるのですが、白い絵を描きたくて過去にない感じに仕上がってきています。

さて、寺ですが、様式美の最たるものであり、意義がすでに存在する建物であり、時間経過も十分なものという認識です。ただ、作品としてというよりお参りをするのと同等の意味での行為そのものが重要だと考えています。

絵描きであるが故のお参りの仕方と言いますか。お参りは気持ちが大事であると良く言われますね。
同じだと思っております。

例えサクセスしなくとも、いつか必ず行うであろうと確信してます。
でも、勿論サクセスして、多くの人々と共に回りたいと考えていますので、今後ともよろしくお願い致します。

2014年12月19日金曜日

史上初!

ブログをご覧の皆さん、こんにちは、こんばんは。

描く男こと、星です。

寺を描くのはほぼ初めてだ。

思い返しても、小学5年の頃に県で特賞もらったのは、寺、、、じゃない。立派な門構えの個人宅だった。
中学で写生途中で止めた絵は、神社脇の河川で描いただけで、描いたの対岸の民家だったな。
今年3月頃もっぱら描いてたのは、城の絵だ。熊本城。まだ未完成だし。何とか年末年始で完成させる!かなぁ。。。

と言うことは、寺院を描くのはもしや、初めてか!?

過去に描いてたとしても記憶にない。1996年にイスタンブールで描いた記憶はあるが、あれは別の宗教だし、文化的にも異なるしね。


お遍路も勿論初めてだ。(正式な意味での)
去年のは車でのものだし、途中でリタイアしてるし。


二人旅も又初めてだ。
基本一人旅だし、旅行(バカンス的な意味)は一人じゃないけど。
1週間を超える日程だと一人でしか行ったことはない。
トルコに2週間と、ヨーロッパ、アフリカに4ヶ月ずつ計8ヶ月が最長で、後は旅行しかないし。

初めての経験が3つも同時に訪れるのは楽しみでしかたない!
10代に戻ったようで、いいね!したくなる。


なぜ、寺を描くのか?

そこに寺があるから 笑

因みに、同じことしてる人はまだ居ない。と思われる。
まぁまだしてないから、何とも言えないけど

各寺の絵は、勿論もう存在してる。
お遍路してる人はもうすごい数いる。
それをカメラで追い続けてる人は確認出来てない。

お遍路しながら各寺を描いた人をドキュメントしてる映像はまだ、ない。

だから僕らの「同行三人」は、史上初!なのです。


たぶん。。。

寺を描く理由はまた今度

2014年12月18日木曜日

内在する思考の考察 笑

ブログをご覧の皆さん、こんにちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

行動する事こそに意味がある。故に意味とは影である。

byアリストテレス



ウソです。すいません。
僕の言葉ですが、たぶんもっと良い事を先人たちが幾通りもの言い回しでおっしゃってると思うのですが、よく調べもせずに言ってみました。

コンセプトを前提に、作品を創る。

作品がある、コンセプトは内在している。

うーん。前者は納得。後者は言い切れないかな。
では、行動って言葉に置き換えてみる。

コンセプトを前提に、行動する。

行動する、コンセプトは内在している。

こうすると(まぁ似てるけど)行為そのものの意義が関係してくる気がする。のは気のせいか。

思考の行き着く先にあるのは、何であろうか。

思考なき行動の先にあるのは、何であろうか。


何とも言えない感じだったので、下記のサイト見ながらMacの整理整頓をしつつ、Yosemiteに遂にupgradeしました。
空き容量も8Gから71Gまで回復!

皆さんもどうぞ!笑













2014年12月17日水曜日

いきさつ2014続き

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

ブログ毎日書くって大変ですね。笑 これを55日連続で、一日中歩くか絵を描いた後にやるのか!と思うとドキがムネムネです。古いなぁ

さて、脱線しながらのいきさつですが、(ちょっと前のブログを読んで、あぁここからかと確認)

電車の中で去年の車でのお遍路の話と主にRequiemの話をした後に、今後したいと思う事を話しました。

徒歩でのお遍路

八十八寺を描く

”水曜どうでしょう”が好き 笑

どんな話をしたのかはっきりとは憶えてないですが、上記の件を話した気がします。
太湯さんがカメラを写真から動画に切り替えて使い出し、窓に写る姿を撮りながら。

ベルリンに戻って来てからは、より具体的な話になっていきます。

意味合いは、大乗仏教てきな観点から小乗仏教てきな行いへの移行を中心に据え。
正式な形に則り四国八十八カ所霊場を遍路する、各寺を描く(鉛筆のみか水彩かペンか未だ未定)
その道程を伴走するかのような動画撮影。

日々描き歩く中、2人の男はどうなっていくのか?!

果たして最後まで巡礼出来るのか?ミセレル動画になるのか?生きて帰れるのか?

喧嘩するかも知れない、パンの奪い合いをするかも知れない、何かに取り憑かれるかも知れない笑

55日もあれば何でもあり得る。

どうして55日間なのか?

平均的な歩きお遍路は40日程度だと言われています。
そこで、+各寺を描く時間を単純に3時間だとして、3×88寺=264時間÷24時間=11日となります。
まぁ天候など不確定要素を加味して+4日として、計55日間となる訳です。

簡単な足し算ですので、上手く行くか分かりませんが、目安は必要です。
1番の後は2番と決まってる事を、決まった行程で、ゆっくりと時間を掛けて廻って行く。
寺を打って行くわけです。

個人的な行為ですが、アート的ドキュメンタリーを目指しつつ、人間模様を遮る物の無い中でさらけ出しブログにて心中を書きながら、美しい言葉(書けてないけども)だけじゃない、人間をお見せしつつ二人の掛け合いを是非お楽しみ!

とは良いつつ、ご支援頂けないとお見せ出来ないのも事実。
どうか、ご支援よろしくお願いします!

真面目にバカをやる僕らの生き様を苦笑しつつご覧になって頂きたい!
と思っております。

それではまた明日











2014年12月16日火曜日

いきさつ 2012ー13

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。

描く男こと、星です。

ちょっと戻って2012年からの話をします。

 2012年3月3日から2週間、ベルリンのギャラリーDENにて個展の機会を頂いたので、11日からの1週間はグループ展にしよう!と思い、11日(日曜日)は一日中ライブペインティングをして、パフォーマンスをしたいアーティストを呼んで、映像と写真の展示や、企画に賛同してくれたアーティストの作品を展示しよう!と思い、実際に行いました。
 
また、同日にはベルリンの至る所で様々な形態のイベントが行われていました。

1年が経過して今自分たちに何が出来るのか、考える機会をと思いグループ展「Re: 3.11.」を行いました。
同日に行った他のイベントのオーガナイザーともう少し連絡を取り合って連動して行えたら良かったね、と後日話した記憶があります。
翌年は三回忌にあたる年なので、何か出来たらなぁと考えていました。

そして、2013年1月下旬に、前年の夏位から交渉していた大使館での追悼イベントが急遽行えると連絡がありました。そこからは本当に寝る間を惜しんで、寝てる時間も夢を見ながら色々な調整に追われておりました。 
 様々な方のご助力のおかげで、3月13日に「Requiem」を開催でき、感謝しかありません。
 Requiemでは、日独のアーティストの写真や絵画など作品40数点の展示と、CreaTraDによる日本の伝統芸能を現代的にアレンジした舞台と音楽(和太鼓、鼓、クラリネット)を行い、来場者は200名近くになりました。
下記サイトで当日の写真やCreaTraDについての情報をご覧頂けます。

展示作品はテーマをRequiemとして、過去に焦点をあてました。
来場者は過去を振り返りつつ、日本の未来をイメージした舞台を見て、現在の自分の位置を知る構図になっていました。時間が重要でした。

僕はその時「三回忌という区切りの時期を迎え、これからは各々前を向いて歩いて行かねばならない。」主旨の言葉を述べさせてもらいました。
自分自身への戒めとも取れる言葉を口にした事により、僕は終わりなき途へ歩を進め始めたのかも知れません。

まだ何も終わっていない。だから歩き続けるんだ。

そう胸に刻んでいます。


2014年12月15日月曜日

他己紹介


ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

一週間掛けていきさつと言う名の自己紹介をしてきましたが、
今回は他己紹介をしたいと思います。

お忙しい中、返答を頂いた方々ありがとうございました!
また、突然の不躾な質問失礼致しました。



町田さん、素早いお返事ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。



長谷川さん、載せてしまいました。すみません。。。ありがとうございました!



竹谷さん、いつもお世話になっております。プロジェクトを何とか成功させたい!と思って日々頑張って行きます!















市さん、アツイお言葉ありがとうございます!頑張ります!

貴重なお時間を割いて頂き誠にありがとうございました!

明日以降は、「同行三人」の内容へ行きたいと思います。

2014年12月14日日曜日

いきさつ 2014

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

2011年以降の劇的変化は皆さん知ってると思うので、

いきさつに戻りたいと思います。漸くです。

今年2014年は何があったんでしょう?年末だし振り返ってみます。

1月は2013年を通してAOK(ドイツ最大の国の保険会社)でも展示が終了し、何点かがプライベートコレクションへ、一点がAOKのコレクションに加わったって言う月でした。
2月は3月に行われたグループ展“Berlin Meets Tokyo“展への準備に当てられ、3月はその展示と他の展示(半年後)の下準備をしてた。
4月は6月に行われるコンサートのポスター作成し、アートフェア出て、5月は親知らず4本抜いて、友人の結婚式4月とで2式出て、一張羅をダメにしてたなぁ。
で6、7、8月は作品制作しまくり。夏なのに家に居まくり。
9月はグループ展に3つ参加して、日記付けようとして1週間も続かず。。。
10月はグループ展に1つ参加して、太湯さんのグループ展を見に行く。
そこで、太湯さんと数年振りに再会し、翌週?から我が家に滞在し始める。
結局3週間ちょい、滞在したのかな。

そんな中、中央ドイツ辺りでのグループ展の搬出手配を失念してたので、もう面倒だから、行っちゃうか!て事になり、太湯さんと3時間位掛けて魔女の村で有名な山間の街まで行く事に。

その前位に僕はお遍路の話を太湯さんにしてました。
こんな感じに

「実は去年、車でお遍路をしようとして、1週間の予定でレンタカーを予約して、東京から夜行バスで徳島行って、1日目13寺、2日目には26番札所まで行って高知県の室戸岬でキャンプして。3日目に、高知を横断して、38番足摺岬にある、金剛福寺まで行ったんだ。」

「スゲー山道で(身振り手振りを交えて)何回もハンドル回す!みたいな、その時に飲んでた2ℓの水のペットボトルが助手席から運転席の足下へ転げて来た訳!もう水ほとんど入ってないから軽いし、カーブすごいしね。」

「で、反射的に浮かんだ景色が、免許更新とかで見た様な、ほら、よくあるじゃん。コーヒーの空き缶がブレーキペダルの向こう側行っちゃって、ブレーキ踏めずにドカン!っての。まさに、あれが今起こるって思っちゃったから、カーブあけて前方にも後方にも車ないの確認して、左足で、助手席側に蹴り出そうとした訳さ。ペットボトルを」

「サッカーやってたんだよね。(サッカー部って何処かで書いてたよね?)学生時代。だからかね、左足使うときは右足を踏ん張るんだ、踏ん張ると…そう、そこにはアクセルペダルがある訳。
案の定、急にスピードアップして気付いたらスゲー煙で、ビービービーってウルサイの。」

やや斜めにハンドル切ってたから道路脇の木に勢い良く正面衝突したって訳
幸いなのは登り坂だったのと、近くの木だったから勢いも余りなく。て言ってもベッコし行ってたけどね真ん中で。エアバック助手席側も膨らんでたし。

まぁ意外に怪我はほとんどなくて、エアバックの破裂でプラスチックがオデコに当たってタンコブが出来たのと、ニトロ(?)が左手にちょっと掛かって火傷した位で。勿論車は自走出来るレベルじゃないから、警察とレンタカー会社と保険とかに電話して。まぁ兎にも角にも俺のお遍路第1弾は未完で終了している訳だ。

そんな話をした後に、魔女の村へ行き、帰りの電車の中でおもむろに太湯さんがカメラを回し出す訳です。

2014年12月13日土曜日

いきさつ 20◯◯

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

少し脱線して、世界が変化していってると感じた出来事ベスト5!

第5位 ベルリンの壁崩壊!
コタツで親とテレビで見てた記憶がある。N○Kとかで。つい先日25周年やってたしね。

続いて 第4位は、ソ連邦崩壊!
AKIRAの中じゃ2020年頃もソ連はあるからね。あの痣と一緒に覚えてる。

注目の 第3位は~iPod発売!笑
リンゴの快進撃はここから。そろそろ製造中止だっけ

第2位は、もはや説明要らずの 9.11.!
1位と迷ったけど個人的なランキングだと言う事で。

 その当時僕は、日暮里のボロアパートで古いテレビデオ(!)で、ダンサーイン・ザ・ダークをレンタルして観て、号泣して、ちょっと巻き戻して(VHS!!)不条理にもう一度号泣してました。
テレビデオってビデオ終わると自動的にテレビに変るんだけど(ご存知でしょう?w)、その瞬間に目に飛び込んで来たのは、二機目が突っ込む瞬間でした。
号泣の後に訪れたのは混乱でした。頭の上に大きな?が浮かんでいたのを覚えています。(浮かんでたと思うよマジで)


さぁやはりと言いますか、勿論と言いますか。
1位の発表です。引張る必要性もないので、サクッと発表です。

そうです。3.11.です。

9.11以降、テロには屈しないとの事で戦争というかジャイアン本気でスネ夫と勝負!みたいな一方的な暴力が中東へと向けられ行く中、のび太は何してたんでしょう。

違うか、スネ夫が金出すんだから、ジャイアンとスネ夫 対 のび太って事かな。ドラえもんは異星人的な役割かな。スゲー兵器とか持ってそうだしw でもジャイアン側なんだよなぁ
まぁ良いか。無理あるか例えるのは。笑

3.11. あの日、バイト先の人からの電話は「確か実家東北の方じゃなかった?大きな地震があったみたいだけど、大丈夫?」こんな感じでした。寝ぼけ眼な僕は、あぁでも内陸なんで大丈夫だと思いますと軽い返事をしただけで、余り深く考えず、ネットにアクセスする訳です。
そして知るのです。ベルリンから遠くの母国の事を。。。







2014年12月12日金曜日

いきさつ 2004

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

さぁ無事太湯さんと出会った訳ですが、太湯さんが卒業してから交流が始まるってのはなかなか興味深いです。
アフリカから帰ってた頃僕は「生きてるって素晴らしい!日本って最高!だって死なないもの」
と良く口にしてました。

日韓W杯以降、僕は2003年3月に大学院を修了し、ドイツへの留学を諦めきれず、研究生として大学に残る選択をします。

そして、2004年4月よりドイツはベルリンへと居を移すに至る訳です。
因に留学と言う形に拘るのを辞め、住む事にしました。笑 

引っ越しです、単なる東京から伯林への。

2004年よりベルリンに住みだし、一時帰国する際には呑んだり呑まれたりしつつ、太湯さんは太湯さんの、僕は僕の制作に励んでおりました。



そして、ある朝バイト先の人から珍しく電話が鳴り、運命の針は音を立てて動き出します。




2014年12月11日木曜日

いきさつ 2002?

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

2002年日韓W杯、日本は残念ながらベスト16でトルコに敗退してしまいました。
あの雨の新潟スワンは何だかとても悲しげでした。

その頃僕はドイツへ留学しようと試行錯誤しておりました。そんなある日、友人(GO)が太湯さん住むと言い出しました。

太湯さん?

一緒に住む?

?


その当時太湯さんは、何と!

一軒家に住んでいたのでした!

西新井で。


色々諸事情があるっぽいですが、兎にも角にも1階を太湯さんが、2階をGOが。所謂流行のルームシェアです。やる事早いですね。

そして、そのGOのバイクに乗せられて初めて太湯宅へと連れられて行った訳です。









2014年12月10日水曜日

いきさつ 2000 そして遂に!

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

2000年を南アフリカのケープタウンで迎え、春より復学し、
油画科なのに油画を描かずに、CGばかり作ってた僕はアフリカ以降油画を描き出しました。

実は1998年頃(アフリカ前)はMacでもWinでもなくLinuxを駆使しながらCG動画制作に熱を上げておりました。
そのまま行けば今頃は…

兎にも角にもアフリカでの体験は生き方を決めるキッカケになったと言えます。

アナログである事。

自分のウェブサイトもjpgのみで構成しているのもその為です。

大学同期のほぼ全員が卒業もしくは院生へとなり、僕は一つ下のクラスで再スタートを果たします。

当時は抽象画を描いておりました。

そして、遂に!!


太湯さん

登場です。

今日はここまでです。
次からは太湯さんも出てきます。wたぶん







2014年12月9日火曜日

いきさつ 1999

ブログをご覧の皆さん、こんちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

早速始めます。

エディンバラはスコットランドの首都、1999年は前年のスコットランド法制定によって独立への足掛り的イベントで大いに盛り上がっていた。’99年5月12日がスコットランド議会最初の開催日。
先日の独立を問うスコットランド独立住民投票へと続いていく。

そんな祝祭に、何も知らずパレード見てたら、TVインタビュアーが早口で質問して来たからさぁ大変。説明を受けても今の今まで正確に理解していなかった始末。。。

まぁどうせ使われてないだろう。笑

その後isle of skyeっていうスカイ島まで北上し、その行程の景色が余りに美し過ぎて。電車じゃ早過ぎる!でも徒歩は遅過ぎる!チャリだ!と直感してロンドンへと帰りました。

ロンドンの自転車屋にて、アフリカまで行くから壊れない、壊れても現地で直せるシンプルなマウンテンバイクを下さい!と言ってセッティングして貰ってる間に、ヨーロッパとアフリカの地図を買いに専門店へ。当然先ずはバルセロナを目指します。

さぁキャンプ道具一式などを青い真新しいマウンテンバイクに積み込みロンドンを出発です。

先ずは90マイル先の港町(名前を失念)へ、途中は高速道を走行しましょう。まっすぐだし、信号ないです。道には迷わないけど、警察には止められます。怒られますのでチャリで高速道路を走っては行けません。すいませんでした。

海はフェリーを使いましょう。水陸両用の自転車ってないのかなぁ。

ノルマンディー上陸です!いざ奪還です!ぶちのめしてやりましょう

1日100キロ程を走行してバルセロナへ、その後は地中海に添って東へボローニャを目指します。
そこにも友人が住んでたので、しっかりお世話になりました。今は香川県に居ますよ。

ローマまで着いたら自転車はさっさと日本に送りましょう。アフリカは大迫ばりに半端ない!って

ここから先のアフリカは僕のwebでBiographyから日の丸クリックしたらアフリカ日記ってのがあるので気になったら読んで下さい。
http://satoshihoshi2006.ebo-shi.com

いきなりの端折り方で、何ですが明日は2000年になります!笑

2014年12月8日月曜日

いきさつ 1996〜1999

ブログをご覧の皆さん、こんにちは、こんばんは。
描く男こと、星です。

今日は皆さんに「同行三人」に至る経緯をお話したいと考えています。
しばしお付き合い願えれば幸いです。

僕(星)と太湯(撮る男)さんが出会ったのは1996年4月の東京、上野公園12-8辺りでした。その後1年程茨城県取手市で過ごし、1997年4月より又上野公園に戻ってきました。

ここまで、読んで「経緯って出会いからかよ!」と思った方。

正解!

そうです。

ブログなんで、思いっきり脳の奥から引張り出して語りたいと思います!

とは言え、僕は18歳ロンゲ(マジ)、革ジャン(嘘)、リーバイス(ラングラー)。
太湯さんはどう見ても…黒い服来てる年上の人。
まぁ特に接点もないまま。。。

時は一気に1999年に進みます。

皆さん思い出して下さい。1999年と言えば!?



そうです。僕が休学してヨーロッパ、アフリカを周遊したスタート年です!
MMR、好きだったなぁ。(中学の頃とか)

1999年5月に学生会館にて今や伝説のOGOHO展を開催した僕は、6月一路ロンドンへと飛び立ちます。

その当時をご存知の方は分かると思います、英語片言の日本人がヒースロー空港へ片道切符で向かうという意味を。

そうです。本田泰人ばりのマンツーマンディフェンスで通常の4倍の時間をかけて念入りに荷物をチェック!
入国出来たのは、当時ロンドン留学中だったサッカー部先輩のはじめちゃんのおかげです。(連絡先って欄に電話番号書いてたから、空港から電話来たらしい)
今と変わらず色々な人に助けて貰ってます。感謝してます!

何とか入国し、はじめちゃんのシェアハウスに行くと運命の出会いが。

何の事はない、バルセロナからはじめちゃんの先輩が遊びに来ていたのでした。

それでも、次はバルセロナだという事が決まった瞬間でもありました。

その後ストーンヘンジへパワーアップしに行ったら改修工事中で石にも触れらず、真ん中で寝たい!という願いも雨と共に流れ、失意のまま、ネス湖へ!

もちろんネッシーを見に!です。

帰りのバスの時間をメモリ忘れたのはご愛嬌。

気付くと同じ様な境遇の日本人兄弟(顔まったく一緒)と3人でポツーーンとネス湖バス停。。。本日のバス終了〜


バスで1時間位かけてここまで来たのに、帰りは徒歩とは。

でも、俺、電波少年見てたぜ!そうさ!親指上げていざ!

ヒッチコック!!!





ヒッチハイク サブッ

三人いれば文殊の知恵、馬の耳に念仏、ネス湖でヒッチハイク

女の子達が止まってくれたけど、3人は無理よ!笑
ってんで、さようなら。

その後、陽気なイカツイ兄ちゃんが街まで届けてくれて、ギネスで乾杯した。

そんなネス湖の思い出。


長くなったんで、今日はここまで!
次は(時間軸バラバラだけど)エディンバラ行くよ!








2014年12月3日水曜日

12月4日!!!

ブログをご覧のみなさん、こんにちは!

寒くなりましたね。ベルリンは最高気温がマイナスです。笑

さて、遂にCAMPFIRE(クラウドファンディング)にて支援募集のページが公開されます!
気になる日付はタイトル通り

12月4日(木)!!!

【12/4(木)公開 - 2/10(火)に日付の変わる午前0:00終了】日本時間

選挙も気になる今日この頃ですが、選挙情報を見るのって結構集中しますよね?
ちょっと休憩に見て頂けると嬉しいです。

何処を見れば良いのか?

ここです。↓
http://camp-fire.jp/projects/view/1347

読んで頂いた上で、ご支援頂ければ幸いですし、自分ではちょっとって言う方で面白そうではあるって方とかは、facebookやTwitterやブログで広めて頂ければ嬉しいです!


よろしくお願いします!




2014年11月18日火曜日

同行三人について

同行三人(どうぎょうさんにん)
八十八寺の絵を描く男、それを撮り続ける男


 本プロジェクトは、星 智(ほし さとし/ドイツ在住/画家/東京藝術大学院修了)と 太湯雅晴(ふとゆ まさはる/日本在住/映像/東京藝術大学卒)によって計画されている。



 
大学同期の二人が、ベルリンで再会し、このプロジェクトは始まった。

 「人にはそれぞれ成すべき事がある。健康な体を与えられ、尚かつ絵描きの俺だからこそ出来る事。それが俺の成すべき事なんだ!」
 この信念のもと、星は3.11の震災で亡くなった方々を追悼するプロジェクトを継続的に行っている。

 第1回目は2012年3月に、“起きてしまった事柄はもう元には戻らない、ならばどうするか”の発想のもと、「Re: 3.11.」というタイトルで、Gallery DEN(ベルリン)においてライブペインティング、パフォーマンス、絵画、写真等よる展示を行った。
続いて第2回目の2013年3月13日、在ドイツ日本大使館において、「Requiem」をタイトルに一日限りのイベントを行った。
               「Requiem」の様子






 太湯は今年、福島第一原発をモチーフにした映像作品を発表した。その中で「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を作ったO氏を取材している。
詳細は太湯のホームページから http://futoyu.com




プロジェクト概要


 本プロジェクトでは、四国八十八ヶ所の霊場を徒歩で巡礼し、そのすべての寺を星が絵に描いていく。太湯は星に同行し、その行動を記録する。巡礼の様子は星がブログにて毎日報告する。

 太湯が星に同行する理由として、ひとつは星の行動に偽りがないことの証明のため、またもうひとつは巡礼と芸術の関係に対する太湯の個人的な興味からである。星の巡礼を通じ、映像の枠に収まりきらない”何か”の記録を試みようと太湯は考えている。

 つまり本プロジェクトは、四国八十八ヶ所を遍路しつつ各寺を絵に描くという星のプロジェクトを、巡礼と芸術をテーマに太湯が映像作品として制作するという、ふたつのプロジェクトを同時に進行させる構造となっている。

 今回のCAMPFIREでの支援募集では上記までの活動を予定している。

今後の予定


 今後の予定として、2ヶ月の巡礼後、星の原画とブログをデジタル画集としてまとめ、太湯の記録した映像作品のDVDも制作する。また、2015年に星の在住するベルリンにて展覧会がすでに決定しており、そこで原画展を開催する。日本での展覧会も検討中。


 プロジェクトの最終目標は、星の原画をもとに油絵を制作し、その展覧会開催の後に各寺にその油絵を奉納することである。本プロジェクトは2020年完了を目標としている。


最後に

 ここまで読んで頂き誠にありがとうございます。
何としても成功させたいと考え日々努力しておりますが、皆様のご助力なくしてこのプロジェクトの完遂は不可能です。

 何卒ご支援よろしくお願い申し上げます。